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Jack Russel Dream.1   

わたしがとても大切に思う、ジャックラッセルテリアについて。

とても長い文章、その1。
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わたし自身、2006年はモナちゃんの赤ちゃん4匹、ペコの赤ちゃん7匹、
11匹のあたらしい命を、この世に生み出した責任をある立場の人間です。
とても長いので、読むのはあまりおすすめしませんが、(笑)
いまいちど、わたしがブリーディングについて考えていること、してきたこと
これからしていきたいことについて、書いてみようと思います。

●2001年1月、犬を飼いたいと思い、一念発起。

これは、社会人になり、お給料をもらえるようになり、自分のお金で世話をし
自分がきちんと育てていける立場になったことがきっかけでした。
子どもの頃から、猫も、犬も、いたけれど、それは両親が養っている子たち。
大学生の頃も、犬を飼いたかったけれど、犬を飼うにはお金がかかる。
それが自分でできないうちは・・・とNG。
ようやく自分の責任の範疇で犬を飼える年齢になり、やっと!という感じだった。

●犬種図鑑を何冊も買いあさり、寝ても覚めても、犬種図鑑を熟読する日々。

●いつも一緒にいられる、けれど愛玩犬でない、タフな犬種をと思う。

●ジャックラッセルテリアという結論が出る。

●そこからは、旅のはじまり。

自分の納得のいく相棒を探すのだから、と、きちきちA型気質炸裂。

まだジャックラッセルテリアがとても少なかった頃のこと。

インターネット、本、雑誌、情報網を網羅し、土日ごとにブリーダーさん通いの日々。

多犬種を繁殖する有名な繁殖屋さん、日本一を名乗るブリーダーさん、

1時間、2時間、3時間、電車に乗ってブリーダーさんをハシゴしていました。

通えない範囲は写真を送ってもらい、目を引く子がいれば、遠方でも後日行った。

ブリーダーさんのところで仔犬を見せてもらえばかわいいし、抱けばほしくなる。

でも、この子!と思える縁を感じることなく、いつかは相棒と出会えると信じ、

ジャックラッセルの仔犬を巡る旅をつづけた。

いま振り返れば、ペットショップで買う、という発想がなかった。

なぜなかったのかはわからないけど、まったく、なかった。

なんでだろう?

日本最大級の大規模繁殖場、みたいなところにも知らずに行ったけれど

なんか、ここから迎えたいと思わなかった。

そして。

●2001年9月。

相棒探しの旅の果て、モナちゃんに巡り会った。

この子だ!

間違いなく、そう思った。

ブリーダーさんはあまり乗り気ではなく、ああ、その子はやめたほうがいいよと。

なんで?

両親オーストラリアチャンピオンで、値段が高い。

ペットで飼うのならそこまで高い子じゃなくていいんじゃない?とのこと。

ひとまず、写真を撮らせてもらって帰宅。

これまで膨大に取ってきた子犬の写真と、その日出逢ったモナちゃんの写真。

父も、モナちゃんを指差した。

目がいい、こいつは強い意志を持っとる。

と、また意味不明な勘を炸裂させていた(笑)

わたしは、ブリーダーさんが言った価格が、高いとは思わなかった。

わたしは考えた。

15年は暮らすパートナーの値段に、高いも安いもないかなと。

自分がこの子と思った子がずっと健康に末永く暮らしてくれるなら、

その価値ははかりしれないし、パートナーの値段を高い、安い、と思う発想がなかった。

ブリーダーさんが、母犬のことを「このヒトはさぁ」とか父犬のことを「このヒトはね」

と説明してるのを聞いて、犬なのにヒトって思って接してる人なんだなと思ったのが

いちばん印象的で、このブリーダーさん、犬が好きだなあと

なんとなく感じたような記憶がある。

いくつもの繁殖屋さん、ブリーダーさんを巡り、いく頭もの仔犬を見たうえで

この子だと思ったから、そして両親や、兄妹にも会い、間違いないと思えたから

ブリーダーさんに直談判、のち、モナちゃんはわたしの相棒となった。

●2003年まで、モナちゃん2歳半とちょっと、わたしの最高の相棒に育った。

スタジオ、撮影、ロケ、音楽録音、忙しく駆け回る日々。

モナちゃんは、いつもわたしの傍らにいた。

自転車のカゴに乗り、東京メトロに乗り、いつも一緒の、パートナーだった。

この頃、モナちゃんの赤ちゃんを、なんて発想はこれっぽっちもなく

ただ、自分の傍らにずっといてくれれば最高だと思っていた。

ブリーディングやドッグショーをしているようなペットショップに行くと、

この子はいい子だから繁殖したほうがいいよとか、ドッグショーやってみたら?

なんて言われたことがあったけれど、まったく興味なし。

そして。

ジャックラッセルテリア単独展へのお誘い。

●2003年10月、モナちゃんはじめてのドッグショー。

モナちゃんはわたしの相棒であり、わたしが上で彼女が下、の関係ではないから

お手も、スワレも、フセも、なーんにもさせずに育った。

友だちに誘われて、記念受験に、なんて気持ちで出たドッグショー。

そこでわたしはモナちゃんの、これまで見たこともないような表情に出逢った。

うれしそうに、活き活きと、これがしたかったのよ!とでもいうような得意気な顔。

体全身から、楽しさがあふれていた。

そしてモナちゃん、はじめての単独展で、WINNERS BITCHを受賞。

その賞の重みなんてまったく実感もわかなかったけれど、彼女のあの表情が

忘れられなかった。

●2004年以降、モナちゃんとドッグショーの日々。

オーナーハンドラーで、バリケン1個、バックパックを背負い、始発電車に乗って

遠い遠いドッグショーに通ったあの頃。

ドッグショーに行くと、キラキラしたショードッグがたくさんいて、

なんだか場違いなトコに来ちゃったなぁとか、モナちゃんてなんて田舎くさい子なんだろ

と、情けないような、帰りたくなるような日々。

でも、たくさんの方が会場で声をかけてくれた。

この子はいい子だから、がんばりな。

いい子だね、誰の繁殖の子なの?

いい犬を持ってるね、とても恵まれているよ。

そんな声にささえられ、モナちゃんを選んだ自分の目は間違ってなかったのかなと

安堵する一方、モナちゃんの可能性を引き出せない自分へのジレンマ。

●2004年3月、モナちゃんショードッグとしての修行をはじめる。

プロフェッショナルハンドラーさんのもと、モナちゃん、ショードッグへの一歩。

たちまち、チャンピオン完成。

それも、テリアグループで1番のGROUP 1ST,50数頭いる全犬種展での

エクセレントグループなど、モナちゃんは可能性に花を咲かせてもらったように

どんどん、わたしの手の届かないところに行ってしまうようで不安だった。

わたしのパートナーなのに。

モナちゃんはいつも、最高の笑顔でドッグショーをしていた。

けれどドッグショー小休止で家に帰ってくると、モナちゃんはたちまちパートナーに

戻って、わたしの傍らにいてくれた。

そっか。

家庭犬、ときどき、ショードッグ。

という方法もあるんだと感じた。

ドッグショーを知り、もっとジャックラッセルテリアが好きになった。

多くの「客観的な目」で審査され、コネも縁もない世界で孤軍奮闘のモナちゃんでも

いくつもの賞歴を残せたことは、モナちゃんの血を残す意味があるのかなと思い、

ブリーディングへの興味がわき、またここでも本の虫爆発。

繁殖に関する一般知識の本から、研究書、オーストラリアの文献などを

読み漁り、また、オーストラリアンブリードのジャックラッセルテリアの血統について

ひたすら自分のデータをたくわえた時期。

わたしにとって、たしかな目を養うことの一歩は、知るということ。

知るということは、見ること、聞くこと、読むこと、触れること、ぜんぶ。

知りたくないものにも片目をつぶらず、ちゃんと知ること。

氾濫する多くの情報を知り、そこで自分なりに考え、結論を出していく。

知らないことは、暴走への一歩だと思っている。

繁殖の暴走は、犬たちの命の問題と直接つながる。

暴走を食い止めるためには、まず、知ることが一歩じゃないかなと思う。

●2004年5月、モナちゃんJKC.CH完成、6月の北陸インターでB.O.B受賞。

チャンピオンクラスになり、考えた末、インターチャンピオンへの道を歩むことに。

いつもその原点には、モナちゃんが楽しそうだったから、ということがあった。

楽しくないことは、させたくない。

わたしはモナちゃんのタイプのジャックラッセルテリアが好きだったので、

自分が求めるタイプ=モナちゃん、の、客観的な第三者の評価を仰ぎたかった。

モナちゃん3歳、ブリーディングについて考え、ブリーダーさん、ハンドラーさんと

交配相手について意見を交わし、全員一致でお相手はラフターに。

あとは発情期を待つばかり。

●2004年10月

モナちゃん出産、大地とビートが生まれる。

このお産の過程で、命と向き合うことの重さ、苦しさ、辛さ、自己批判も生まれた。

一方で、命と向き合うことの尊さを感じ、パピートレーニングの大切さに目覚めた。

●2005年から、大地、ドッグショーデビュー。

自分が繁殖した子が、ジャックラッセルテリアのスタンダードの流れに乗っているか、

犬種向上のための繁殖であったのか、自分は盲目的になっていないか。

それらを確かめるべく大地のドッグショーがはじまった。

大地、パピー時代にいくつものベストインショーやキング、リザーブキングなど

全犬種のドッグショーでの賞をいただいた。

これで、やったね、よかったね、ではなく、自分が繁殖したジャックラッセルテリアが

多数の客観的な目に評価をいただけたことを厳粛に受け止めたし

この先も、細く長く自分の求めるブリーディングをつづけていきたいと思うきっかけになった。

まだ犬種歴史の浅いジャックラッセルテリアが、オールブリードショーで

ベストインショーを取ることで、全犬種におけるこの犬種のポジションが高まることの

一歩になってほしいと思いました。

雑種・ラッセルテリアとか、あの気性の荒い白い犬だろ、くらいの認識から

きちんとしたラインブリーディングの積み重ねで、

気性もマイルドな、骨格構成上も問題のない、とてもいい資質を備えた犬種だという

認識へと、周囲の認識の向上をしてもらいたいと思いました。

ドッグショーは、見得や、人間のエゴの場だという人もいます。

もしかしたら、そういう場なのかもしれません。

目的や楽しみの見出し方ひとつなので、どういう場にもなると思っています。

わたしにとってのドッグショーは、自分の考えてきた道、

これから向かいたい方向、自分のこだわる健全なジャックラッセルテリアを

客観的な目に披露し、第三者の判断を仰ぐ場だと、思っています。

自分の犬の骨格構成、性格、キャラクター、歩様、その健全性や良い点について

もし、誰からの評価も受けなければ、その子を繁殖することは

自分のエゴ、自分の盲目的暴走になってしまう。

そういう意味での、評価、判断を仰ぐ場だと思っているから、

わたしはドッグショーに出るし、自分が繁殖をした子、繁殖をしたいと思う子は

複数の客観的視点の審査員に評価を受ける必要があると思っています。

これは自分が自分に課したルールです。

誰かに強制することではないし、わたしが繁殖をする限りにおいては

こういうハードルを自分に課して、責任を負わなければいけないと思っている。

ショードッグへの批判も多々耳にします。

ショーに勝てればいい犬なのか?とか、ショーは商売のためのものだとか。

他の人のことはわかりません、あくまでもわたし個人の思いは、

ショーに勝つためのジャックラッセルテリアをつくることではなく。

ショーで勝つからいいジャックラッセルテリアなのでもなく。

心身ともに健全で、スタンダードに近いジャックラッセルテリアを

ブリーディングし、ショーに出して、客観的評価を仰ぐ。

という発想なのです。

また、パピー時代の大地はその性格のおおらかさや、朗らかさが際立っていた。

ブリーディングは性格形成にも影響を及ぼすことも考えなければいけないという点、

パピー時代をどう育てるかが、犬格形成に大きな影響を与えるという点を痛感し、

パピートレーニングや、パピーの社会化への関心がたかまった。

多感な仔犬時代の育て方ひとつで、その子の犬生は、まったく違うものになる。

これは、いまもって、まったく変わらない気持ちです。

●2005年9月、大地、9ヶ月でJKC.CH完成。

ジャックラッセルテリアのブリーディングの健全性について考える日々。

なんどもいうけれど、ブリーディングは、犬種の向上を念頭に考えることが

とても大切なこと。

自分が求めるタイプ=モナちゃん、という固定観念から脱却したのもこの頃。

モナちゃんを自分のジャックラッセルテリアブリーディングの原点とするなら
(FOUNDATION BITCHと呼ぶ)

モナちゃんのいい点、改善すべき点をよく見極めてつぎの一歩に向かわなければ。

モナちゃんへの愛情とは別の次元で、このことについて考えた。

体高は、低ければ低いほどいい、という安易な発想でいいのか。

歩様をいちばん健全に保てる体高と体長のベストバランスは、どれくらいだろう。

たくさんのジャックラッセルテリアを見て、考えつづけた。

●2005年、モナちゃんインターチャンピオン完成。

FOUNDATION BITCHであるモナちゃんをスタート地点として、

今後、自分が考える健全性、性質をそなえたジャックラッセルテリアを

いまいちど、ブリーディングしたいと考えた。

ラインブリードとは、親族、親戚、血縁関係の重なる血統での繁殖のこと。

インブリードとは、親犬、兄妹など、とても近い血統での繁殖のこと。

アウトブリードとは、まったく血統の重ならない、別個の血統での繁殖のこと。

わたしは、ジャックラッセルテリアという歴史の浅い犬種は、

まずは、ラインブリードが基本にあると思っています。

ラインブリードにしていくと、重なる先祖犬同士のいい部分、いい部分が

だんだんと固定されていくのです。

逆に、悪い遺伝子もまた固定されていくので、それを阻止するには

先祖犬の情報をできる限り知る努力が必要です。

もしも、先祖犬に遺伝的疾患や性格的問題を伴なう犬がいるならば

そのインブリードやラインブリードには相当の注意が必要になる。

アウトブリードは、予測不可能です。

まったく異なる先祖犬、先祖犬の血が重なり、それがよく作用することもあるけれど

悪く作用すると、まったくばらばらの、固定されない繁殖にもなりかねない。

歴史の古い犬種なら、それでもある程度の逸脱は免れるだろうけれど

ジャックラッセルテリアのような犬種は、ある程度を超えた逸脱もありうる。

インブリードは、わたしは基本的にはあまりしたいと思いません。

どうしても、どうしても、どうしても残したい、残さねばならないという場合を除けば

それは、疾患を生むリスクを伴なうからです。

モナちゃんとラフターも、ラインブリードの組み合わせです。

つぎのモナちゃんの相手を探す上で、ラインブリード上に乗る子で考え、

意味のあるブリーディングになる可能性がなければ、やめようと思いました。

この頃にはドッグショーも数年は経験し、先輩や仲間が増え、たくさんの

相談相手に恵まれました。

ブリーディングの、犬の、経験や知識の豊富な先生や先輩からの意見は

ジャックラッセルテリアだけを見ていた自分に、もっと広い視野を考える

きっかけをもらえました。

オーストラリアの審査員や、アメリカ、イギリスの方の意見を仰いだのは

この頃からで、それは、広い視野で見なければだめだと思ったから。

狭いこの国の、偏った一部の人たちだけでの模索をするよりも、

もっと広い視野でジャックラッセルテリアについて考えることが

犬種の未来に光を差してくれるような気がしました。

スタンダードに近づける繁殖、という言葉をよく耳にします。

でも、スタンダードの解釈は、ひとつではありません。

あるひとつの定義を、どういう尺度で読み、どう解釈するかによって

ブリーディングの方向はまったく違ってくるのだと思うのです。

文章に書かれたスタンダードというものに照らし合わせ、

実際に生きて、歩いているジャックラッセルテリアの健全性をたしかめ

どう解釈をし、目指していくことがいいのかを、模索するために

意見交換や、経験の蓄積が必要なのだと、思います。

●2006年、モナちゃんASIAN WINNERに。

FCIアジアインターナショナルドッグショーでモナちゃん、ほんとうに

たくさんのジャックラッセルテリアの中から、Asian Winnerに。

このときの審査員は、アメリカのワイアフォックステリアの先駆者的な

ブリーダージャッジでした。

客観的な目、のなかでも、この人の目に認めてもらえたことに、

自分にとってのひとつの意味があったと思います。

審査員は、アメリカ人です。

アメリカ、イギリスのジャックラッセルテリアはFCIとは違う、という意見もあります。

わたしもその部分が疑問で、機会があるごとに何人もの方に話を聞きました。

このジャッジだけでなく、わたしが話をしたアメリカ、イギリスのテリアに精通する

ブリーダージャッジたちは、みな口をそろえて、FCI公認のスタンダードを

口にしていました。

●2006年 モナちゃん2度目の出産。

自分の目指すべきジャックラッセルテリアへの考えやビジョンが定まり、

このブリーディングはその方向への通過点にしたいと思った。

犬種向上へのブリーディングは、年月と時間を要することだと思います。

経済的行為の繁殖と、ブリーディングがまったくことなるのは、

経済的行為の繁殖は、生ませて、売って、渡したら、おしまい。

犬種向上へのブリーディングは、生ませる前から考え、

生ませてからがスタート地点になり、通過地点になり、次への道へのはじまりなのです。

はじまりを、おろそかにする人はいません。

おわりと、はじまり、大きな違いです。

4匹のパピーは、自分が想像した以上に、今後への道の通過点として

確実に、自分が悩み考えたある1点をクリアしてくれたと思っています。

完璧な犬は、いません。

生き物です、どんなに考えに考えても、人間の予測不能な部分もあります。

もしも完璧ないい犬がつくれた、と思ってしまったら、それはKENNEL BLINDNESS,

つまり自分の犬の犬質に盲目的になってしまうことにつながります。

あくまでも、通過点として、自分の犬のいい部分を認めるとともに、悪い部分も

きちんと見極め、欠点を克服し、いい部分を伸ばしていくブリーディングに

つなげることが大切だと思うのです。

犬に対して素直な目を持つことは、すごく難しいけれど、大切なことなのだと思います。

●いま現在、わたしがブリーディングした子で、遺伝的疾患や性質的な問題は

ないと思います。

また、パピー期を大切に育てるパピートレーニングの大切さも

いままた再認識しながら、日々、子犬たちを育てています。

ここまでが、わたしがブリーディングをするに至った経緯です。

つづく。

by jrt-mona | 2007-01-19 04:03 | BREEDING

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